若狭小浜の神社・仏閣・仏像・史跡
羽賀寺
 霊亀2年(716)泰澄により開基。かつては寺坊18を数えるほどの隆盛を誇った古刹。
 本尊である十一面観世音菩薩は行基作と伝えられ、若狭屈指の秀逸な仏像。(国重要文化財)

羽賀寺十一面観音

 木造十一面観音菩薩立像(重文)像高146.4センチ 平安初期の作
 羽賀山の麓、女帝元正天皇の御影と尊崇される十一面観音菩薩の御姿を拝する時、人はみなその美しさにしばし言葉を失ってしまいます。
円照寺 大日如来座像
 もと真言宗で遠松寺といい、南川の対岸の堂谷にありましたが、越前杣谷城主瓜生民部の娘が尼となって当寺へはいり文安元年ここに移し臨済宗の寺として再建、円照寺と改めたと伝えられています。本堂には本尊の大日如来座像、不動明王立像(重文)が安置されています。
木造大日如来坐像
 平安時代、像高251.5cm。伝春日仏師作。堂々たる丈六像で、蓮華坐上に結果趺坐し、法界定印を結ぶ胎蔵界の大日如来像です。寄木造の像。平明穏やかに彫出されて、均整のとれた完好な像容が表出されていますが、通常の平安彫刻とは多少趣が異なるもので、どことなく新しい息吹が感じられます。四季うつりゆく禅寺に北陸随一・金色燦然の大日如来に接するとき、人はみな無我の境地に引き込まれます。
化粧地蔵

地蔵さんの縁日は24日、なかでも8月24日は盆の最終日で、この日を地蔵盆といいます。
地蔵さんは、幼くして死んだ子供が賽の河原で苦しむのを救済する菩薩でもあり、子供とは縁が深く、若狭地方では、地蔵盆が子供の祭りとしてにぎやかに行われています。

加茂神社

小浜市加茂。祭神は事代主命。「賀茂大明神縁起」によると、本社は京都の上・下賀茂神社から勧請したものであると伝えています。社蔵の文化財に、室町中期の作とされる翁・父尉2面の能面があります。また本社が管理する為生寺の観音堂には、重要文化財の千手観音菩薩立像があります。

空印寺

小浜藩主、酒井家の菩提寺で歴代の墓がある曹洞宗の寺。ここは若狭守護武田元光が1552年に守護館とした跡で、周囲の地下には濠がはりめぐらされています。


八百比丘尼像と入定したとされる岩窟
見昌寺

 小浜市下根来。境内にあるサザンカの巨樹は県指定(1965年5月10日)の天然記念物。根回り6m、高さ8m、地上1m付近より枝分かれして、枝張りは東西12m、南北10mと見事な大きさです。花は一重の紅色で、満開時は極めて美しい。樹齢は相当古いとされていますが、樹勢は盛んです。

高成寺

 1339年に足利尊氏が全国に建てた安国寺の一つで、焼失後若狭守護の大高重成が再建。現在の建物は1754年に完成、古くはもっと大規模な伽藍を形成していました。
 後背の海望山は小浜公園です。

国分寺
 若狭国分寺は、奈良時代に聖武天皇の勅願で全国に建立された国分寺のひとつで、国の史跡に指定されています。釈迦堂には、大きな釈迦如来坐像が、薬師堂には鎌倉時代の作の木造薬師如来坐像が置かれています。

木造薬師如来坐像

 

黒駒神社

 境内には、スダジイの自然林に加え、ウラジロガシが林冠を形成する林があります。スダジイは、大きいもので胸高直径60cmほどです。拝殿の前には、樹齢約300年の県指定の天然記念物であるナギの大木があります。他にもモチノキやタブノキの大木が生育しており、タブノキの樹上には、敦賀半島が分布北東限とされるオオバヤドリギが着生しています。

若狭彦神社

小浜市竜前にある若狭彦神社(上社)は、「若狭一の宮」と称し、霊亀元年(715年)に創建された古社です。海彦・山彦の神話で有名な彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を祀っています。また、同市遠敷にある若狭彦神社(下社)は、別名「若狭姫神社」と称し、同じく豊玉姫を祀り、いずれも県の文化財に指定されています。

若狭姫神社
 若狭一の宮の下社。養老5年に創建され、豊玉姫命を祀っています。海幸、山幸の神話で名高い神々です。境内には千年杉と呼ばれる巨木があり、不老長寿の象徴として親しまれています。
小浜城

 小浜城は、関ヶ原の戦い後小浜藩主となった京極高次が、それまでの後瀬山城を廃し、北川・南川の合流する雲浜の地に築いた城です。

常高寺

 常高寺は、寛永7年(1630) 常高院栄昌尼が夫の京極高次の死後京都妙心寺の槐堂和尚を招いて開祖とし、栖雲寺を移転させた跡地に常高寺を創建しました。
 常高院栄昌尼は、お市の方と浅井長政の3姉妹の次女として生まれ、寛永10年(1633)江戸で亡くなりましたがが、その後侍女たちと共に常高寺に葬られました。現存する常高院の貴重な肖像画、自筆の消息、墓所の他、書院に遺るこの壁画が、往時の盛運を偲ばせています。

神宮寺
 奈良・東大寺の二月堂への”お水送り”はこの神宮寺の神事として有名で、毎年3月2日に行われます。神体山を借景に若狭随一の木造本堂(重文)が雄大な景観を見せてくれます。力強い木造金剛力士像を安置した仁王門(北門)は重要文化財。

 木造薬師如来立像
 平安時代、像高192.5cm。台座を含む総高は219.9cm。多田寺の本尊。頭躰から台座までのほぼ全容を、1材から丸彫りしている完全な一木彫成像。手法からみて平安時代初頭の像とみられますが、本像には当時の一木彫成像特有の彫出がなされていないなど、通常の平安初期の像とは趣が異なります。新しい技法様式を求めて造像がなされていったとみられる像で、その点で奈良時代の神護寺(京都)薬師如来像と対比されることが多いです。眼病に霊験あらたかといわれています。若狭には穏やかな風土のもとに造られた地方作像が多いが、本像もその一つで、その中でも最も古い遺例です。
多田寺
 清らかな多田川の上流、渓谷のさわやかな涼風に心が和みます。春・秋の彼岸には”多田のお薬師さん”として、眼病に霊験あらたかな木造薬師如来立像(重文)の参拝で賑わいをみせます。ほか木造十一面観音菩薩立像(重文)があります。
妙楽寺
 霊峰・多田ヶ岳の麓、桜並木の参道より山門をくぐり、境内の静寂はしばし世俗を離れさせてくれます。
 若狭における最古の建造物である本堂は、寄棟造り檜皮葺で、安置されている木造千手観音菩薩立像(重文)の表情には安らぎを覚えます。


木造千手観音菩薩立像(重文)
 平安時代、像高176.3cm。通形の千手観音像とは甚だ形の異なる像で、真面の左脇耳後に狗牙上出の面、右脇の耳後に菩薩面を大きくあらわす、いわゆる三面千手観音像です。千手観音像は通常、頭上に11面の化仏をいただきますが、この像は真面脇面を合わせると総計24面にもなる珍しい像です。このような像は、空海請来の原図胎蔵界曼荼羅に載せられている27面千手観音像に倣って造られたもので、その一変形とみてよいようです。この種の像としては、地方においては本像のみです。
明通寺
 うっそうと繁った杉木立に囲まれて、ひっそりと木洩れ日を浴びながら、しかも威風堂々としてたたずむ国宝の本堂と三重塔をもつ明通寺。JR小浜駅から7.5km離れた、松永川の上流、カジカの声がする幽谷にあり、藤原時代の仏像4体は、重要文化財に指定されています。
萬徳寺
 秋の山もみじの朱が、枯山水の庭園に見事に映え、訪れる人たちの目をなごませてくれます。
 春はつつじが見もので、四季を通じ自然があふれています。
 本尊・木造阿弥陀如来坐像(重文)や絹本著色弥勒菩薩図像は見応え十分。
銅像如意輪観音半跏像
 小浜市太良庄、正林庵。重要文化財指定(1918年4月8日)、奈良時代、像高31.6cm。奈良時代後期(白鳳時代)の像の特色をよく示しているもので、福井県における唯一の奈良時代前期の遺例です。このような半伽思惟像は古くは弥勒菩薩として造立されていたものが多く、如意輪観音とされたのは密教伝来以降のようであるので、本像も造立当時は弥勒菩薩として祀られていたものと思われます。鎌倉時代のころ若狭国太良庄は京都東寺の荘園でありましたが、寺の縁起によると、本像は仁治1年(1240)に、東寺よりこの太良庄に請来されたと伝えられています。